皆さんいかがお過ごしでしょうか?Karinです。
明日はキリスト教ではとても大切な祝日、復活祭(イースター)です。今までもちょこちょこブログでイースターに触れてきたり、2年前にElisaがイースターについての投稿をしているので少し重複してしまいますが、先週の日曜日にPalmsonntag(枝の主日)の礼拝に初めて参加してきたのでそのことを交えてイースターのお話をしてみたいと思います。
先週の日曜日はその復活祭の始まりにあたる枝の主日でした。丁度義理実家に行っていたこともあって、話の流れから長男が「教会の礼拝に参加してみたい」と言ったので、この特別な枝の主日の礼拝に参加することになりました。
この日は、イエス・キリストがエルサレムの町に入った出来事を記念する日。人々は彼を歓迎して、道に服を敷いたり、木の枝を振ったりして迎えたそう。本来はナツメヤシの枝(パーム)を使っていたことから、このパームサンデーという名前がついています。でもヨーロッパではヤシの木はなかなか手に入らないので、その代わりに使われるのがPalmkätzchen(ネコヤナギ)なんです。春先に出てくる、あのふわふわした銀色のつぼみの枝はとてもかわいいですよね。私たちは前日にネコヤナギを準備し礼拝の際に教会に持って行きました。教会にはネコヤナギを手に持った人たちがたくさん集まり、聖なる水や没薬によってそのネコヤナギは祝福を受けました。そしてその祝福を受けたネコヤナギを手にもって参加者全員で教会の隣にある回廊を歌いながら一周しました。

以前の投稿で何度か書いたことがありますが、義理実家のあるLilienfeldには800年もの歴史があるシトー派の修道院があります。その美しい修道院の回廊に入れる機会ってあまりないのでとてもいい経験でした。以前の投稿はこちら
さて、そんな穏やかな雰囲気で始まる枝の主日ですが、ここから先は少しずつ空気が変わっていきます。このあとの一週間は「受難週」と呼ばれており、イエスの人生の中でも特に重要で、そして重たい出来事が続きます。
礼拝の中で話されたことを少しまとめて書きます。イエスはエルサレムで人々に教えを伝えていきますが、その内容は当時の宗教指導者たちにとってはあまり都合のいいものではありませんでした。自分たちの立場や権威が揺らぐかもしれないという不安から、彼らはイエスを危険な存在だと考えるようになります。そして、ひそかにイエスを捕らえる計画が進められていきました。これは有名な話ですがイエスは、弟子の一人ユダの裏切りによって捕らえられてしまうのです。場所はオリーブ山のふもと、静かに祈りをささげていたときでした。武装した人々に囲まれ、そのまま連れて行かれてしまいます。
その後、イエスはローマの総督ポンテオ・ピラトのもとへ。というのも、当時この地域はローマ帝国の支配下にあって、死刑を決める権限はローマ側にあったからです。ピラト自身は、イエスにそこまでの罪があるとは思っていなかったようで、できれば釈放したいと考えていました。ちょうどその頃、お祭りに合わせて囚人を一人釈放するという習慣があったためピラトは群衆に「この人を釈放するか、それとも別の囚人か」と問いかけます。その別の囚人が、反乱に関わったとされるバラバという人物でした。
ここで少し驚くのが、人々の選択です。彼らはバラバの釈放を望み、イエスの処刑を求めたのです。ほんの数日前には歓迎していたはずなのに、一気に流れが変わってしまう。この場面は、人の気持ちって本当に簡単に動いてしまうんだなあと感じさせられます。最終的にピラトは、その声に押される形でイエスの十字架刑を認めます。恐ろしいですよね。
そしてイエスは、他の二人の罪人と一緒にゴルゴタと呼ばれる丘へと連れて行かれてしまいます。「されこうべの場所」という意味を持つこの場所で、十字架刑が行われました。当時の十字架刑はとても残酷な処刑方法で、重い罪を犯した人に対して行われるものです。
イエスが他の二人と一緒に処刑されたのは、「罪人の一人」として扱われたということでもあります。しかしキリスト教では、この出来事は人々の罪を背負う象徴的な意味を持つものとして考えられています。
そしてすべてが終わったかのように思えた数日後。日曜日の朝、墓は空になっていました。これが復活祭、イースターのはじまりです。死で終わらない物語、新しい命へとつながる出来事です。枝の主日から復活祭までの一週間は、喜びから始まり、裏切りや不安、そして最後には希望へと向かっていく時間。春の訪れと重なるこの流れを知ると、復活祭の見え方が少し変わってくる気がしますよね。
私は赤ちゃんの時に洗礼を受けており、カトリックの幼稚園に通い、プロテスタントの中学高校に通いました。教会を見て回るのも大好きですし、聖書も書物としてとても面白いと思っていますし、中学高校の時の宗教の時間も大好きでした。それでも色々な理由があり教会を脱退しております。ただこのようにたまに文化の根源にあるものに触れるのはとてもいいことだと思っております。中学高校時代にいつも興味深く聞いていた先生方の礼拝を思い出しながら、神父さんのお話に聞き入ってしまいました。長男に感謝ですね。
でもその長男ですが、その日があまりにも寒い日だったので教会の中もかなり寒く「ねえ、いつ終わる?いつ帰れる?」とずーっとぶつぶつ言っておりました(笑)1時間以上の礼拝は7歳にはちょっと長かったかもしれないですね。


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