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義理の父との思い出

皆さんこんにちは。Karinです。

もう5月。まだ気温の不安定さはあるもののウィーンもだいぶ暖かくなってきて、外で遊べる時間も長くなってきました。そんな中私たち家族はつらい日々を過ごしておりました。

イースター直前、義理の父が88年の生涯を終え天に旅立ちました。突然でした。昨年の夏は何度か入退院を繰り返していたのですが、ここ最近は少し元気になってきたなという印象だったんです。前々回の投稿で書いた「枝の主日」の礼拝に参加した際に義理実家で言葉を交わしたのが最後になってしまいました。お義父さんは長男と私が礼拝に参加したとことを喜んでおり、礼拝の話をしたり、長男とテレビを見たりとても楽しく過ごしました。「またイースターが過ぎたら来るねー」と言っていつものようにウィーンへ戻ってから数日、夜に電話が鳴りました。お義父さんがさっき苦しまずに静かに息を引き取ったと。夫と私は状況が良く呑み込めず「えっ、何で?」という感じ。子どもたちはもうすでに眠っており、翌日のイースターを心待ちにしていたので、とにかく子どもたちの楽しみを奪ってしまわないようにと淡々とイースターの準備を終わらせたのをはっきり覚えています。

この一か月2度ほど義理実家を訪れましたが、楽しそうに話をして笑っていたお義父さんの声が聞こえないのが、こんなにも寂しいものなのかと思っております。お義父さんはとてもお話し好きな人で、どんな人ともすぐに打ち解ける人でした。私のことも初めて義理実家を訪ねた時からすぐに受け入れてくれ、今までたくさんたくさん楽しいお話を聞かせてくれました。お義父さんは世界史に詳しく、興味深い話がとても多かったです。私は特に歴史に興味があったとか、得意だったということは無かったのですが、学生時代に「天は赤い河のほとり」にドップリはまっていた時期があり、漫画を超えてヒッタイト民族について調べたり読んだりとても興味があったんです。唯一その話が出来たのがお義父さんでした。お義父さんは旅行も好きで色々な土地を訪れており、トルコについても歴史を交えて話してくれたのを覚えています。

先日行われた葬儀も、お義父さんの誰とでも打ち解ける人柄からすごい数の参列者でした。またお義父さんは警察官だったため、長男が驚いて声をあげたほど数多くの警察車両と警察官が参列していました。

お義母さんが選んだ心にしみる音楽、そしてお義姉さん夫婦が選んだきれいなお花、とてもとても暖かい葬儀でした。

警察官の方のお話の中にあるクリスマスの日のお話がありました。これは私も何度か直接お義父さんから聞いたお話でした。お義父さんは毎年クリスマスの日に義理実家近くの森の中にある十字架のろうそくに火をつけに行っていました。ところがその年のクリスマスは路面が凍結しており、滑って転倒してしまい、脚に大怪我を負って歩けなくなってしまいました。お義母さんもさすがにいつまで経っても帰ってこないお義父さんのことが心配になり、警察が出動しての大捜索になったそうです。幸運にもお義父さんが怪我をした場所の近くに小屋があり、そこで寒さをしのぎながら助けを待っていたお義父さんを見つけ出すことが出来ました。その警察官の方はお義父さんを生きて見つけ出せたこと、そして脚を維持することが出来たことが、その年の最高のクリスマスプレゼントだったと話していました。

お義父さんがこの話をしていたのが昨日のことのように思い出され涙がこぼれました。

お義父さんはトレッキングも大好きでした。本当に数多くの山に登っており義理実家の周りの山についてとても詳しかったです。私たちがトレッキングに行く際も必ずお義父さんにお勧めの山や、道順などを聞いてから行っていました。先週、お義父さんが亡くなってから初めてトレッキングに行きました。もう私たちにアドヴァイスをしてくれるお義父さんはいません。私たちはお義父さんが使っていたトレッキングの地図からHohensteinという山を選び哀悼の意味を込めて、行き帰り合計で5時間、800mという子連れではなかなかの標高差を登ってきました。きっとお義父さんは空からそれを見て孫たちに「偉かったね」と言って喜んでいたことでしょう。

これからもお義父さんは私たちの心の中で生き続けます。お義父さんから聞いた数多くのお話は、私の宝物として大切にしていきたいと思っています。

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この記事を書いた人/Autorin dieses Artikels

オーストリア在住、アラフォー2児の母。女性専門トレーナーとして、妊娠・出産・更年期などライフステージに寄り添ったサポートをしています。家族との暮らしや健康、子育てをテーマに発信中。

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