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私とドイツ語

皆さん、こんにちは!Elisaです。

なんと今日で1月も終わり😲こうして毎月過ぎていってしまうと思うとゾッとしてしまいますよね。とにかく毎日一生懸命過ごさねば!

今日はですね、私の二つ目の故郷であるオーストリアの公用語「ドイツ語」と私のお話をしてみたいなと思います。正直日本では、いわゆる「ハーフ」と言うと顔の印象が少し欧米っぽい、とか、名前が片仮名である、とか、いろんな言語を話すことができる、といったようなちょっと特別な見方をされてきた気がします。今では海外の方が増えてきていることもあり、そのような境遇を持つ人も多くいる思いますが、私たちが子供だった頃はまだ「珍しい」という印象がありました。中でも「言語」に関しては、子供ながらに悩む時期もありました。

Karinも度々ブログで綴っていますが、子供をバイリンガルで育てるというのはかなり大変なことなのです。我が家の場合は、両親共にドイツ語と日本語ができるため、ある意味両方の言葉を話すように子育てをすることも出来たのかもしれません。しかし、何せオーストリア人の父は日本語がとても上手👏娘が言うのも何なのですが、よくこんなにできるなと思ってしまうほどなのです。更に両親は既に40年以上日本で生活をしているため、家での会話は日本語の方が圧倒的に楽だったんですね。つまり、学校でも日本語、家でも日本語という環境だったのです。そのお陰で、私も日本語でスラスラ文章を書くことができるのですけれどね。

そう、日本語には全く問題がなく生活をしてきたのですが、私にとっては逆にドイツ語が「目の上のたんこぶ」状態になってしまったのです。日本ではなぜか「英語」ができると思われ要求されるし、オーストリアに行けばなぜドイツ語ができないのか、と言われる板挟み。そのため自分の境遇を人にあまり話したくないという時期もありました。

そんな私に転機が訪れたのが、17歳の時。高校2年生の私は、卒業後の進路でウィーンに行くことを決めていたため、夏休みを使って現地の語学学校に行くことになったのです。今でも覚えていますが、最初はとにかく通うのが嫌で・・・。集中コースだったため、3時間15分を月曜日から金曜日まで、約1か月間こなしました。進むスピードも結構早かったんですね。最初はむしろ同じクラスの人たちとは英語で何とか会話をしていたのですが、2週間も経つ頃になると少しずつ単語が聞き取れるようになってきたのです。日常のあいさつやちょっとしたことが相手に伝わると嬉しくなり、もっと勉強したいなという気持ちも強くなってきました。不思議ですね。あんなに嫌だったのに。逆に、自分はオーストリア人なのだからできなくてはいけない、というプレッシャーが背中を押したのかもしれません。

そして1か月の集中コースを終えると、寂しさすら沸いてきたのです。今ではその時の感情を詳細に思い出すことができないのですが、自分の第二母国語が分かるようになるということを幸せに感じたのかもしれません。それからは、大学に行くまで毎年同じように集中コースを受け、大学に入ってからも半年間は語学学校に通いました。

人によっては現地で生活をしながら仕事をしたり、友人を作ることで語学を習得する人もいます。しかし私の場合は引っ込み思案でなかなか外に出ようとしなかったため、半ば強制的に語学学校に行くという方法が向いていたのかもしれません。

そしてこの経験が今の「ドイツ語を教える」という仕事にも繋がっています。日本からは毎年多くの方がウィーンに来られますが、生活で必要だったり、試験をとらなくては行けなかったり、趣味でやってみたかったりなど、様々な背景でドイツ語を習われる方がいます。もちろん全く異なる言語ですので最初は難しいこともありますが、街に出た時に一言だけでも理解できたということを喜んでくださる生徒さんのお話を聞くだけで、私自身もハッピーになるのです🌟

「私とドイツ語・・・」

最初は苦手だった存在が、今では良きパートナーとなり、生活に欠かせないものとなりました。これからもそれを使って、一人でも多くの方のお役に立てたらいいなと思っています!

最後は恒例のシェーンブルン宮殿で締めくくりたいと思います。

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この記事を書いた人/Autorin dieses Artikels

日本育ち、ウィーン在住の植物療法士。趣味カメラ、文章を書くこと。「自分たちの経験を書くことで一人でも多くの人をハッピーにしたい!」をモットーに発信中!

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