こんにちは、Elisaです!今日も訪問ありがとうございます☺
今回はいつもと少し違うテイストで、これまで感じてきたこと、そして今思うことを発信してみようかなと思います。
コロナが始まってからもうすぐ3年目になりますが、これに関しては極力自分の意見を言わないように、いつも回り道をして避けてきたところがあります。

というのも、予防接種をするしないということで、かなり問題があったからです。おそらくこの内容は多くの人ができたら話したくない、と思っていることかもしれません。
私自身はコロナに対する予防接種はしていません。これには様々な理由があります。一番大きな理由は、自分が経験したステロイドの離脱があまりに大変だったからです。
これを言うと、「いや、ワクチンとステロイドは別物だから」と思う人もいると思うのですが、私の中では「物が同じであるか異なるか」ということではなく、「体に自然であるかどうか」という判断において同類に分類されたわけです。
もし自分の体に安心できない不自然なものが入ってきたら、これからまた大変な思いをするだろう。これがまず1つ目の大きな理由でした。
二つ目の理由としては、SARSの時にmRNAワクチンを接種した人の多くが、後に自己免疫疾患を患ったという話を聞いていたことが挙げられます。はっきりしたことはよく分かりませんが、ワクチンには様々な重金属や化学物質が含まれていることは昔から言われてきましたし、更に新しい技術が加わり自分には到底理解のできないものを体に入れるのは恐怖だったのです。
そして三つ目の理由としては、親戚の中で打って2週間後に失われた命があったからです。これは正直因果関係は分かりません。因果関係を調査してくれるわけもなければ、接種後2,3日以内に起きたことでないと認められないからです。
これらの理由、そして私の直感(ドイツ語ではBauchgefühl=お腹が感じるもの)からワクチンを打たないことをずっと貫いてきました。
この自分の意志決定は、日本ではその当初は案外問題なかったんです。これは日本人の国民性もあるかと思いますが、ヨーロッパに戻ってからは逆にいろいろとありました・・・。
もちろん親戚もほとんどが打っていましたから、久しぶりに会っても挨拶のように「ワクチン打ってる?」と聞いてくるわけです。私は「打っていないよ。」と答えていたのですが、その都度「それは良くないね。」「なんで?」「打っていない人がいるからいまだに収まらないんだよ。」と言われ、次第に人と会うのが嫌になっていきました。
そしてこれはもちろん社会の動きの反映でもありました。オーストリアはヨーロッパでも予防接種を義務化しようとした国ですから、国民のほとんどもその方向で進んでいました。その反面個人主義も根強く、ワクチンの義務化に反対するわずかな勢力がデモなどを起こし、遂にはこのワクチン義務を止めることができたわけです。
私と一緒にブログを書いている姉も、ピラティスという人と関わる仕事をしていたため、ワクチンを打っていないことで仕事を失いました。また、ワクチンを打っていない人はレストランに入ることも、娯楽を楽しむこともできなくなりました。違反すると罰金だったのです。この差別をなくしたいと思い、私たちはことあるごとにそのデモに参加しました。そこでメディアが伝えることと事実の大きなギャップを目の当たりにしたのです。

これは昨年参加した際に撮影した実際の写真ですが、参加するとメディアが伝えていた人数は過小評価であることがすぐに分かり、危険なデモだったという報道もありましたが、全くそのようなことはなく、極めて穏やかでありながらエネルギーのあるデモだったと私は感じました。
そして2022年現在、マスクの義務もワクチンの義務もなく、見る限りでは自由に暮らせています。不思議なことに姉の仕事も通常通りに戻り、今は忙しいくらいなのです。
一体何が起こっていたのか。それからこれからどんなことが起こるのか・・・。正直全く分かりません。
ただ1つ言えることは、社会の分断を招く力がどこかで働き、そしてその仕組みというのが少し見えてきたかな、ということです。メディアや専門家の言うことはほとんどの人が信じます。悪く言うと、この仕組みを利用すれば、社会を簡単に動かすことができるのだと私は思います。

偶然今日読んだ栄養の本にこんなことが書いてありました。「専門家の言うことを全て信じる必要はない。トレンドを疑え。」これはまさに今の世の中にとって必要なことなのではないでしょうか。「これが100%正しい」ということは1つもないのではないかと思うのです。なぜなら人間は1人1人違うのだから。私は何を信じるべきで、何を疑うべきなのか、ということが生きる責任として1人1人に問われているのだと思います。特に自分の健康に関することであれば、その責任はまさに自分にあるのです。
そしてもう1つ気をつけるべきだな、と感じるのは、あえて分断を招くようなグルーピングです。これ、いろんな場面に言えることではないでしょうか。反ワクチン派、脱ステロイド派、脱保湿派等々・・・・・。別に派閥にしなくても、と思うのですが。その他もろもろいろいろありますよね。
全てを反対したり推し進めているわけではなく、ただ自分の意志においてした決断や経験を伝えているだけなのに、なぜかこういった名前で差別化され、次第に本物の差別を生んでいくわけです。個人の選択は全て自由であるわけですから、これは本当にメディアの罪だと私は思っています。
そんなメディアにも仕事があり、テレビやインターネットを通じて報じることも自由かもしれません。そうなると、いかに見る側がきちんと理性と知性をもって、見て、聞いて、そして判断するかが大事になってきますね。差別を生まないためにもきちんとした知識と相手に対する敬意を持つべきだと思います。
まわりまわってだいぶ長くなりましたが、結局大切なのは自分の決断に自信を持つことと相手の考えを受け入れることだと思います。例としてワクチンを取り上げてみましたが、打つことも打たないことも自由。他人の決断を蔑まない寛容な人間でありたいと思いますし、次の世代のためにもそういう世の中を作っていかなくていけない、と日々感じています。
それでは寒くなる毎日を、元気にお過ごしください!


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