皆さんこんにちは!Elisaです。
もうすぐ3月も終わりですね。ここウィーンは3月の初めに一気に春が来たと思ったら、また冬に戻りということを繰り返しながら、徐々に安定した季節を迎えようとしています。植物も色づき始めました。

これはセイヨウサンシュユ(コーネリアンチェリー)という落葉高木で、この季節になるとウィーンの至るところで見られます。私のよく行くシェーンブルン宮殿の庭園を散歩している時にもよく出会います。セイヨウサンシュユは秋になると赤い実を付け、ジャムやリキュールとしても楽しむことができます。そんな自然が豊かなウィーンが私は大好きです。
さて、ここから本題に入りたいと思いますが、どこから始めていきましょうか・・・。実はヨーロッパ、特にオーストリアの現状についてはずっと書きたかったのですが、自分の意見をまとめたり政治・歴史的な背景を書くことはとても難しかったため、なかなかたどり着きませんでした。ただ、今年に入って世界的な動きと共に、ここオーストリアでも様々な出来事があり、そう言ったことが報道されていない日本の方たちにも現状を知っていただきたいなと思い、思い切ってこのテーマに取り組むことにしました。
ブログタイトルやこれまでの流れを見て、あまり気が進まないな、と言う方もいらっしゃるかと思いますが、一度でいいのでぜひ最後まで読み進めてもらえたら心から嬉しく思います。
私が世の中の流れに疑問を持ち始めたのは、2019年後半に流行を始めたコ〇ナの時だったと思います。(もしかしたらだいぶ遅いのかもしれませんが)以前ブログに何度か書いたことがありますが、2022年初めにオーストリアではワ〇〇ンの義務が可決されるという歴史的な大事件がありました。結局国民の運動により最終的に撤回されたわけですが、おそらく国民がすすんで打たなかったということが背景にあるのだと思います。ここから国民の思想は分断されていきました。
私自身は子供の頃からありとあらゆるワ○○ンを打たされてきましたから、特に反対派とかそういうわけではなかったのですが、何か嫌な予感がしたのと、ステロイドによる薬害で大変な時期があった頃から薬品に対してはかなり慎重になっていたため、コ○ナワ○○ンは強制されても絶対に打たないと決めていました。これはKarinも同じでしたが、姉の場合はその当時雇われの身だったため、打たなかったということで職を失いました。それから差別が始まり、打ったという証明のない者は、生活必需品の買い物以外、全ての娯楽や外出が禁止されました。もし破ったら、罰金。後にこれは人権侵害であるということが認められ、罰金を科せられた人には返金されたそうです。これは、先進国のオーストリアで実際に起こったことです。
先ほども書きましたが、私は西洋医学にも薬にも真っ向から反対しているわけではなく、自分の健康と人権を守るために打たなかっただけなのです。ただ、その当時は特に人々が繊細になっていたこともあり、打っていないことを公言したもんなら、生きている価値すらない、と言われることもありました。同じ意見を持った人たちで、人権のために何度もデモに行きました。

今になってみれば過ぎ去っていったことのように感じられますが、このわだかまりは消えることなく、そのまま思想の分断へ繋がっていったと私は感じています。
少し話は変わりますが、オーストリアは中東から多くの移民を受け入れていた国の1つです。外から見れば、素晴らしいことですよね。だって困っている人たちを受け入れてあげるのですから。私もそう思っていました。私たちも2つのルーツを持ち、両方の国で幸せに暮らすことができていますから、外国人に対してももちろん寛容な気持ちを持っています。オーストリアは歴史的に見ても、かなりいろんな周辺の国々と接していることや帝国として形を変えてきたという背景があるため、様々な国の人たちが混ざり合う豊かな国です。ただ、2015年に欧州難民危機が起こり、何百万人とヨーロッパに押し寄せる移民(特にシリア、アフガニスタン、アフリカ諸国等)により他の周辺ヨーロッパ諸国を含むオーストリアの治安は一気に悪化していきました。政府は難民を受け入れたものの、対応不足で秩序が一気に乱れてしまったのです。
どういうことが起きているかと言うと、連日起こるナイフによる通り魔、テロ、強姦、暴行、強盗等々、挙げればきりがありません。これは大げさではなく、毎日ニュースを見ると必ず1つないしは2つはこういうことが起こっているのです。残念ながらこれらのことを起こしている人たちのほとんどは、オーストリア人ではありません。先月にはウィーンではない州で、イ〇〇ム教徒によるテロがあり、何人もの方が怪我、または命を落としました。今月は1日の間に2つウィーンでテロがありました。ドイツでも移民による車で人々に突っ込むテロがそこら中で起きています。政府はそれでも移民を受け入れ続けています。ドイツ語圏ではこれを「国のイ○○ム化」と呼び、意図的に行われているという考え方すら出てきています。
私がウィーンに来た2012年頃は、毎晩楽しくコンサートに行っていましたが、今は暗くなってから外に出ることができなくなりました。人が集まるところに行くのが嫌になりました。常に気を張って外出をしなくて行けなくなりました。自分を守るために、武器を持つべきなのかとすら考えようになりました。
そして私はとても悲しいと感じているのですが、家の外に出てもドイツ語を聞かないのです。オーストリア人がほとんどいないのです。差別をするわけではないのですが、なぜかブルカをかぶっている人たちばかりで、知らない言葉しか聞こえてこないのです。ここは一体どこなの?オーストリアは一体どうなっちゃたの?
学校に目を向けてみると、子供たちのほとんどがアラビア語をしゃべります。キリスト教の授業や文化がなくなった学校があります。アラビア語を教え始めた学校があります。子供たちがドイツ語を学んできません。オーストリア人の子供たちがいじめにあいます。姉のKarinの次男は、オーストリア国民であるにもかかわらず、前々から入園を予約していた幼稚園に入ることができませんでした(ブログへ)。移難民は優先的に入れてもらえています。これは今多くの現地人が抱えている問題です。オーストリア人の子供たちの将来は一体どうなっていくのでしょうか。自国民が満足できず困窮すらしているのに、移民や難民を優先するというのは果たして正しいのかと疑問に思います。
そしてここからが最初に話した思想の分断へと繋がって行きます。ヨーロッパ人は、自分の考えを持ち尊重する人たちです。日本人と違い、悪く言うと協調性がほぼない人たちです。そうすると、移民を入れてほしくない人たちと、それを外国人差別ととらえる人たちで真っ二つに割れてしまいます。本来なら話し合って犯罪を減らすように規則を決めたり、上手に対応していけばいい話じゃないですか。
そして面白いことに、これはコ〇ナの時の構図にもよく似ています。犯罪を起こす移民を入れてほしくない人たちは、外国人差別をしているのではなく、秩序を守らず自国の治安を悪化させている人たちを入れてほしくない、と言っているだけなのに、逆側(左)の人たちは過激化してその人たちを「ナチ」と呼ぶのです。これはナ〇スドイツに由来する言葉で、ユ〇ヤ人の大量虐殺と自然に紐づけされてしまっています。つまり、もっと簡単に言うと「愛国主義者」=「大量虐殺を推進している」ということになります。極端に聞こえるかもしれませんが、これは今ドイツを中心に実際に起こっている国民の分裂なのです。もう少し悪化すると国民戦争になるとも言われています。
これは一体何によって起こされているのか。ずっとずっと考えていました。そこでたどり着くのはやはりメディアです。メディアを良いように利用して富を得ようとしている人たちがいる、ということだと思うのです。メディアやプロパガンダは国民を洗脳したり誘導するのにとてもいい手段です。例えばCMを見れば、ほとんどが製薬会社。それが仮に被害をもたらすものであったとしても、薬なんだからいいに決まってる、と普通は思いますよね?
これは戦争においても同じことが言えるのではないでしょうか。今、ヨーロッパは大量にウ〇ラ〇ナに武器を送っています。悲しいことに戦争や武器はお金をもたらします(薬品も)。そしてここでアメリカがウ〇ラ〇ナ支援から一抜けしましたよね。そうすると、ヨーロッパの人たちは自然にロ〇アの目がこちらに向くのではないかと思い込みます(本来はヨーロッパとロ〇アはずっと友好関係を保ってきた関係)。そこでメディアが、世界第三次大戦に向けてポーランドが準備を始めた、オーストリアも永世中立ではいられなくなるかもしれない、と恐怖をあおります。するとどうでしょう。国民が戦わなくてはいけない、と思い出すのです。いやいや、絶対にやめなきゃ、となればいいのに。戦争はするものじゃなくて、やってはいけないものではないのでしょうか。恐怖というのは最も良くない感情だとされていますが、これは残念ながら国民感情を揺さぶる最も良い方法であり、うまく利用されていると思います。それによって、同じ国民がお互いを憎しみ合うというところまで来てしまっているのです。
地球上にはこれだけ多くの人たちがいて、その数だけ考え方があります。だからこそ素晴らしいのですが、その全員がもしも、武器に使われている税金を払わなかったとしたら、そして全員で国に立ち向かうことができたとしたら、より素晴らしい世の中になるのではないでしょうか。これがほぼ不可能である仮定の話でしかできないことはとても辛いことですが、国を変えることができるのは、その国を一生懸命作る国民一人一人だと思うのです。私たちのおじいちゃんやおばあちゃん、その前の世代、そしてその前の世代の人たちが一生懸命作り上げてきた平和なのです。それを壊そうとし、苦しんでいる人たちからお金を大量にもらっている人たちが、私は許せません。
今回は実際に住んでいるオーストリアで感じることを話しましたが、今日本でも徐々に同じことが進んでいると感じています。北海道で多くの土地が外国人によって買われたり、東京都の水道事業に海外が参入したり、いろんなところで既に問題が出てきています。外国から日本で働くために一生懸命学び、日本の文化の中で生計を立てている人たちは別です。でも最近、どこか違和感はありませんか?日本の文化がどんどん失われていませんか?自分たちのお金が訳の分からないところに使われてしまっていると感じませんか?情報があふれる中で絶対的に「正しい」ことを見つけるのはもはや困難かもしれません。しかし、信じて「仕方ない」「私は関係ない」と流れに乗ってしまうのではなく、「なんで?」とか「なんかおかしくない?」という疑問を持つことが今後とても大事なことになってくることなのではないでしょうか。
とても重い内容になってしまい、そして感情的になってしまいましたが、言論統制やSNSの規制が始まる前に何とか書くことができました。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。少しでも今のヨーロッパの現状、そして日本の未来も含め、考えるきっかけとなれば嬉しく思います。2025年は激動の時代になると言われており、良くも悪くも既に地球規模での変化が起き始めていると感じています。一人一人がハッピーに生きられる、そして子供たちの笑顔が絶えない優しい世界になってほしいと心から願いつつ、自分にできることを行動に移していきたいと強く思います💛 最後は私がウィーンに来た当初に撮った美しいシェーンブルン宮殿の写真で締めくくりたいと思います。



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