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移民問題の難しさ

こんにちは、Elisaです!

少しずつ秋が近づいているオーストリアから、今日は時事問題についてお届けです。

苦手な方もいらっしゃるかと思いますが、少しの間お付き合いくださいませ。

日本では今、メディアで報道がどのくらいされているか分かりませんが、ネット界隈ではだいぶ「移民問題」についてが取り上げられているように感じます。ク〇ド人問題は以前から言われていましたが、ここでアフリカからの移民を入れるとか入れないとか。

ホームタウン事業などという、だいぶ調子のよい名前を付けて世間をにぎわしていますよね。皆さんはこの問題、どう考えていますか?今後日本も移民を大量に受け入れるべきなのでしょうか?

ここで少しヨーロッパの話をしたいと思います。以前も少しブログに書きましたが、ヨーロッパは陸続きのため、いろんな国の人々が行き来するのはやや当たり前だったとも言えます。1993年に正式にEUが成立し、2002年にユーロという共通通貨が使われるようになってからは、より活発にEU内を移動できるようになりました。ヨーロッパやEUとは言えいろんな国々がありますから、全てがうまくハーモニーするわけではありませんが、それでも同じ宗教や似た文化で生活している人たちにおいては、さほど問題がないと言えます。紛争があるヨーロッパの地域から難民を受け入れたり、ということは常に行われてきました。

しかし2013/14頃からは、2011年に起きたアラブの春をきっかけに、大量のアラブの難民(シリア、アフガニスタン)がヨーロッパに流れ込んできました。特にドイツやオーストリアは昔からそういった難民を受け入れてきましたし、道徳的にも素晴らしいこととして世界からもほめたたえられました。2012年はオーストリアだけで65000人を受け入れたそうです。その後は毎年何万人も受け入れてきましたから、今では数えきれないほどの難民がオーストリアに住んでいます。

ここで私の中でいつも区別しているのが、法的にクリアしてオーストリアに入ってきている移民と、そうではない不法移民、もしくは難民です。これが今最も大きな問題、そして分断を招いています。

特に2012年ごろは緊急性もあったためか、法整備どころではなく、ほぼ全員ウェルカム状態で入ってきたわけです。すると何が起こったのでしょうか。

〇一般市民に紛れてテ〇リストまで入ってきたということ。これは度々オーストリアでも問題になっています。爆破予告があったり、実際に銃乱射事件が起きて多くの人が犠牲になったりしています。

〇同じ民族、宗教の人たちが大量に入ってきたため、文化や国民性が混じり合うことはなく、分断が生まれている。

〇税金を難民に配ったことで国民が困窮し、治安が悪くなっている。

さっくり挙げると、こんなことが根本的問題かなと思います。しかし、挙げればきりがありません。「郷に入っては郷に従え」ということを知らない人たちが入ってくるわけですから、元々オーストリアにある規則はおろか、人間として当たり前の常識すら守られなくなります。

例えば、現地人が仕事をしている中でも、イスラム教の祈りの時間が来ればさっさといなくなってお祈りをし始める(ところかまわず)。そしてなぜかオーストリアでもお祈りの場を敢えて設けたり。

それから最近見てものすごく胸が苦しかったのが、入ってはいけないと書いてある観光地の芝生に大家族でレジャーシートを敷き、ピクニックを始めたのを見た時でした。よほど「ここに何と書いてありますか?これは常識ですよ。」と口から出そうになりましたが、人種差別と言われることを恐れてか、正しいことを言えなかったのです。これは私にとって、ある意味忘れられないこととなりました。

ここはオーストリア。私は父の祖国であるオーストリアを愛しているし、これまで受け継がれてきた文化や歴史、美しい国を大切に思っているのに、なぜ常識のない移難民に気を使わなくてはいけないのか。こういう感情が生まれてくるのです。しかし一度口を開けば「人種差別」と言われる。何かがおかしいのです。

私は日本の血もオーストリアの血も引いているから、ある意味どちらの国にいても完全にその国民にはなれないのかもしれない。ただ、両方の国の文化や歴史を理解し、その常識の中で礼儀ある生き方をしたいと思っている。ただそれだけなのです。

ここで私が言いたいこと。それは、日本も移民を受け入れるのならば、その前にどんなことが起こり得るのか、国民が大変な思いをしないのか、果たしてその判断で良いのか、ということをよくよく考えるべきだということです。

先ほども書いたように、私は2つの国の背景を持っていますし、今やそういう人たちが多くいる中で、一度たりとも人種差別をしようと思ったことはありません。しかし、全く違う文化と常識の中で育った人たちが大量に入ってくる、ということは、受け入れる側の国の文化が失われる可能性すら秘めている、ということなのです。極端かもしれませんが、いつか愛国主義と言うことすら禁止される時代が来るのかもしれない、と私は感じています。

自分の生まれた国、育った国を愛することは当然のこと。守りたいと思うのも当たり前のこと。だからこそ、私はその国の国民であることを誇りに思い、祖先が繋いできた大事なたすきを安易に全く知らない人に渡すことはできないと思うのです。

ここまでオーストリアや日本のことを取り上げてきましたが、これは世界中の多くの国々が抱えている問題ではないでしょうか。一度不法移民や難民を国に入れたなら、返すことは倫理上もはや不可能です。だから入れる前によくよく考えてほしいのです。私は日に日にオーストリアがその文化を忘れ、失い、いずれ全く違う国になっていくのが悲しくてたまらないのです。今やウィーンでは約45%が移民の背景を持っています。家の外に出ればドイツ語が聞こえない、オーストリア人を見かけない。これはそこに理由があるからです。

きちんと相手の国のことを理解し、その常識の中で暮らし、働く人に関しては何も問題はないと思います。でも、何度も言うように全く知らない人たちを大量に受け入れるのは、本当にその国民が望んでいることなのか考えてほしい。そう強く願います。

そして日本がなぜ、特に戦争難民ではない国々の人たちを迎え入れようとしているのか。これも背景をよく知らないといけませんね。これまで陰謀論と言われてきましたが、謎の〇イルス、〇クチン、移民問題、消費税。。。全て繋がっているのでは、と私は疑わない日はありません。助け合い、困難を乗り越える事。これは日本人の得意分野と素晴らしい精神だと思います。この強みが今の混とんとした世の中に少しでも希望をもたらしますように。 少し重いテーマになりましたが、ここまで読んでいただき、そして一緒に考えていただきありがとうございました。

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この記事を書いた人/Autorin dieses Artikels

日本育ち、ウィーン在住の植物療法士。趣味カメラ、文章を書くこと。「自分たちの経験を書くことで一人でも多くの人をハッピーにしたい!」をモットーに発信中!

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