MENU

戦後80年私が思うこと

こんにちは、Elisaです!

今日は久しぶりに前置きを書かずに内容に入っていこうかな、と思っています。

ちょっと長くなりそうなので。。。

とは言え、現代人はとにかく読むことが苦手になっているようなので、果たして自分が長い文章を書いたところで誰が最後までたどり着くのか、といつも自問自答しているんですけれどね。

ただ、ブログってやっぱり自分の言いたいことを表現して、伝えて、そして共感できる場でもあるので、ご興味のある方には届いたらいいな、と思っています。

さて、今年は戦後80年です。特に昨日は終戦記念日ということで、ニュースではおそらくその内容を多くとり上げていることでしょう。しかし、80年前に実際に悲惨な戦争(世界大戦)を経験した人の数はどんどん少なくなっているはず。私たちも90以上まで生きた祖父母を数年前に亡くしていますし、そう考えると戦争を知る人が知らない世代に伝えることも、もはや難しくなっているのではないかなと思います。

1945年8月15日に日本が終結させる形で第二次世界大戦は終わりましたが、戦争ということで考えたら、その後も続いたり、または新しく起こっている地域もありますよね。目下、ウクライナ、ロシアや中東もそうですが、戦争がなかった時代ってあるのかな、と思うことも。戦争って一体誰がしたいんでしょうか。一体誰の得になるんでしょうかね。

「戦争」はある意味、取り上げるのが一番難しいテーマかもしれません。それは個人的な感情や様々な意見が常にあるからです。最近よく思うのですが、私たちが学校で習ってきた歴史って本当に正しいのかなって。教科書は経験した人が書いているわけではないですよね。よく、歴史は戦争に勝った国が作るという言葉を耳にしますが、今になってこれは本当なんじゃないかって私は思っています。二度の世界大戦や今起きているヨーロッパ隣国の問題も、様々な観点から記されている記録や報道の中で、誰が真実を語っているのでしょうか。広島や長崎の悲劇も、私は日本の学校で、戦争を終わらせるためには必要だった、と明らかに理不尽な内容を一部の見方として習いましたが、たくさんの尊い命に対してそのような言葉で完結し、それを黙認しなくてはいけないというのは果たして正しいのですかね。戦争が終わって80年が経っても、被爆者やそのご家族の中では終わらない悲しい歴史が続いています。それはおそらくどの戦争の被害者においても同じことが言えると思います。いわゆる一般教育の中では、どちらの国が良い悪い、勝った負けたという簡単な結論で説明され、テストで年号や名称を書いていい点数をとることで評価をしていますが、そうではなくて戦争は決してしてはいけないもの。このように一人一人がきちんと考えて意見を持てるように、学校では根本的な部分を学んでいくべきなのではないでしょうか。

広島県 原爆ドーム

そこには、やはり国が作るメディアや教科書にも大きな責任があると思います。なぜなら一度あることが報道されたり伝えられたものならば、私たちはそれを聞いても疑問に思わず信じてしまうからです。純粋な子供ならなおさらですよね。私たちはその国に行って、その国を治める人たちや国民と話し、その土地の状況を自分の目で見たこともないのに、本当か分からない報道や歴史を事実だと思い込んでしまい、恐怖や不安で一方的な憎しみを生んでしまうことがあります。恐ろしい戦争は、こうして私たちの生活に溶け込むいわば「教え込まれた真実」によって生まれていくのかもしれません。

話を戻しますが、実際に平和な世の中は、作ることができるのでしょうか。そのためには一体何ができるのでしょうか。この問いには多くの人が、何もできない、と答えるかもしれません。私も多分、一人だったら無理かな、と思います。ただ、人を傷つけあうことで何も生まれない、ということを一人一人が考えて、その集団意識が強くなっていったらどうでしょうか。

一度こんなことを聞いたことがあります。例えば、ある国で全国民が税金を納めなかったとしたら、その国は2日で倒産する。私はその時に思いました。そうか、多くの人たちでやれば国すら変えることができるんだ。つまり、より多くの人が関心を持って取り組めば、大きなことも変えられるんじゃないかって思うのです。

以前のブログにも何度か書きましたが、オーストリアではパンデミックの際に〇クチンの接種義務化に多くの国民が反対したことで撤廃されました。国が国民の健康を管理したり、何かを強制するということは、人権に反していると多くの人が判断したからです。そして日本でも今、信頼できる政党が少ないとはいえ、選挙結果に変化が出てきました。これも、国民の集団意識が少しずつ変わってきているからではないかなと感じています。

現代の社会では溢れんばかりの情報の中から真実を見つけ出すのはもはや不可能かもしれません。というか真実があるかも分からない。むしろ、これまでのように誰かがこう言ったからそれが正しい、私もそう思う、という判断ではなく、自分自身がどうとらえ、解釈し、そしてどう行動していくのか、ということが問われていく時代になってくるのではないかと思います。その中でも、特に戦争のようなものに対しては”NO!”と言える勇気と自由が奪われてはなりません。

長崎県 平和祈念像

今の日本や私の住むオーストリアには、平穏で幸せな毎日があるように見えますが、いろんな意味で大きな変化に揺れ動いています。ここにある幸せを感じ、前を向いて生きていくことはとても大事なこと。でも、過去のことを忘れずに、真剣に未来を考える時間も、これからのために大事なのではないかと思います。

「平和は自分たちで作っていく。」という言葉を私はよく父に言われてきましたが、それが今心にとても響いています。かわいい子供たちの笑顔を見ると、本当にいい世の中になってほしいと思うからです。いろいろな科学技術が進み、便利な生活ができるようになった反面、人工知能に頼り過ぎることで私たちが考える事を忘れたり、歴史すら書き換えられていくという副作用も起きてくるかもしません。だからこそ自分の目で読んで、頭で考えて、全身で感じて、それを伝えていきたいと私は強く思っています。そして同じ過ちが繰り返されない、人間らしい心ある優しい世の中になっていったらいいなと願っています。

長くなりましたが、今日も読んでいただき、ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!/ Teile es gerne!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人/Autorin dieses Artikels

日本育ち、ウィーン在住の植物療法士。趣味カメラ、文章を書くこと。「自分たちの経験を書くことで一人でも多くの人をハッピーにしたい!」をモットーに発信中!

コメント/Kommentare

コメントする

目次